キングダムに登場する王賁は
武の名門・王一族の宗本家を継ぐ
エリート士族として描かれる。
そして、史実における王賁もまた、
歴史に名を残す王一族の筆頭格として
春秋戦国時代で大活躍した。
王翦→王賁→王離の三代は
間違いなく王一族の黄金時代。
キングダムにおける王賁は
今後どのような活躍を見せるのか。
四国を滅ぼす
史記に記録された王賁の功績を辿ると
以下のような流れになる。
・紀元前226年(始皇21年)
王翦と燕を攻め、燕都の薊(けい)を陥落させ、
燕王喜を遼東に逃亡させる。
・紀元前225年(始皇22年)
魏を攻め、魏都の大梁を水攻めし、
魏王假を降伏させて魏を滅ぼす。
・紀元前222年(始皇25年)
燕の遼東を攻め、燕王喜を捕え、燕を滅ぼす。
また、趙滅亡後に樹立した国・代を攻め、
代王嘉を捕え、代を滅ぼす。
・紀元前221年(始皇26年)
李信・蒙恬と共に斉都の臨淄(りんし)を包囲し、
斉王建を降伏させ、秦の天下統一を果たす。
秦が天下統一を目指すようになると、
魏→燕→代→斉の順に
王賁が敵国の滅亡に関わっていく。
尭雲の強さは三大天に匹敵する!?
王翦は閼与攻めで李牧を出し抜く
王翦と王賁(燕攻略)
王賁は父・王翦と共に燕都を攻め、
燕を事実上滅亡させる。
この燕攻略の戦いは、王翦が総大将、
王賁が副将として行われたのだろう。
キングダム作中で王賁は
王翦の嫡子ではないという噂も出ていたが、
史実から見れば王賁は正統な子で間違いない。
そして、
王翦が本当の意味で息子・王賁の実力を認めるのは
副将として王賁を起用する燕攻略の前と考えられる。
趙攻略の前段階である鄴攻めが
紀元前236年(始皇11年)の出来事なので、
これから10年の間に王賁は
父・王翦に認められる将軍へと成長を遂げる。
王賁が新六将へ(魏攻略)
史実における王賁の功績を考えれば、
秦の新六将に位置付けられてもおかしくない。
その契機になるのは魏の滅亡かもしれない。
王翦と共同による燕攻略作戦の後、
歴史的に見ればほぼ単独で
魏を滅亡まで追い込んでいる。

原泰久/集英社/キングダム580話
王賁は黄河の水をせき止め、
魏都・大梁を水攻めした。
王賁の水攻めにより、
大梁の城壁は次々に崩壊し
魏兵の士気も著しく低下したという。
これほど大規模な策を打ち出せるのは
正に大将軍といったところだろう。
亜光と亜花錦は親子なのか!?
楊端和は邯鄲攻め以降は出ない!?
王賁と信(燕・代攻略)
趙の滅亡後、太子の嘉は代に逃れ、
代王国を樹立して秦に対抗した。
そして、代王嘉は遼東に逃亡した燕王喜と同盟を結ぶ。

原泰久/集英社/キングダム57巻
代と燕の連合軍と戦うのが
王賁と信という二人の将軍である。
玉鳳隊と飛隊隊だけで
兵の数は十数万の規模になったと考えられる。
この時点で王賁と信が
六大将軍の座を掴んでいるのは間違いないだろう。
王賁と信という二人の大将軍の活躍により、
先に燕が滅亡し、代がそれに続く。
天下統一へ(斉攻略)
代滅亡の翌年には秦は念願の天下統一を果たす。
王賁は信・蒙恬と斉を攻め、斉都の臨淄(りんし)を包囲、
最後の敵国・斉の王建王を降伏させる。
秦の天下統一の瞬間である。
信、蒙恬、王賁という
かつて天下の大将軍を目指した三人が
揃って出陣し、秦国の統一を決定付ける。

原泰久/集英社/キングダム46巻
そして、統一時には既に三人は
天下の大将軍となっているだろう。
ちなみに、王賁はその後、
通武侯に封じられ、息子・王離が王家を引き継ぐ。
信、蒙恬、王賁
天下統一後の三人は
何を想い、何を語り合うのだろうか?
また、キングダムでは
三人を最後どのように描くのか見物である。
朱景様は史実にいない!?
王翦は王賁を実の子と思っている
王翦は閼与攻めで李牧を出し抜く
王賁と蒙恬は臨時の将軍に!?
田里弥と倉央は強いのか!?
亜光は史実に存在しない!?
亜光と亜花錦が親子はない!?
尭雲の強さは三大天に匹敵する!?
李牧と舜水樹の誤算!将が強い!
舜水樹は史実に存在しない!
桓騎の弱点!?李牧戦で討ち死に!?
王翦が秦国最強は史実!?
楊端和は邯鄲攻め以降は出ない!?
王騎のオリジナル!?
李牧の最期は史実と違う!?
淡が中華最強の弓使いとなる!?
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